|
|
あんしん住宅相談室を開設して、早や8年になります。最初は、どうしていいのか解らず、ずいぶんと悩みましたが、それでも、多くの人と出会い、多くの事をやらせていただき、多くの経験をしました。マンション内覧会の同行、住宅の検査、建物調査、耐震診断、新築・リフォームの設計、工事監理、確認申請、そして、欠陥住宅を得てしまった人の悩みを聞いて、なんとか解決しようと裁判所までも行きました。
これまで建築をやっていて、最も大きな出来事は、阪神大震災でした。1995年午前5時46分、忘れもしません。当時、私は、西宮市の中央部に住んでおり、まさしく、激震地でした。私がトイレに行こうと夢うつつ、立ち上がった時のことです。どどどーと、異常な大きな揺れと音でした。すぐにこれは、地震だと解ったのですが、これは夢ではないかと思いました。すぐに家具が倒れ、食器は割れ、さらに揺れが続き、家の中は悲惨な状態でした。揺れが納まり、すぐに外に出たら、廻りの木造の家は全壊し、まるで戦場のようでした。幸い私は大丈夫だったのですが、多くの人の命と財産が奪われ、多くの家族の幸せが奪われました。私は、その出来事に対し、大したこともできず、自分の非力さを嘆きました。
それから平成17年の、あの一級建築士による耐震偽装事件、人と財産を守るはずの建築士が自ら、構造計算書を偽装し、多くの人に不安を与え、財産、幸せをも奪った。
そして、3年前の東日本大震災。建築士という仕事は、人と深く関わり、その人の人生、幸せをも大きく左右するものなのです。建築士として、私ができること、それは、人の命と財産を守り、人を幸せにすることなのです。
住宅というのは、その人にとってみれば、一生に一度の最も大きな買い物です。自分の家を持ちたいと思っている人の共通の願いというのは、絶対に失敗したくない、快適で安心・安全な家に住んで、家族団欒、幸せに暮らしたいということです。それに関わり、その期待に答えられたときに、多く喜ばれ、そして、多く喜ばれた分、私も喜びが大きくなるのです。
建築を目指して35年、あんしん住宅相談室を開設して8年、これまでの経験、知識でもって、建築士として、多くの人と多くの喜びを分かち合うため、これからも全身全霊この仕事に打ち込む決意です。どうぞ、この考えに共感を持たれた方、あんしん住宅相談室の扉をたたいて下さい。
|
平成26年8月
株式会社アーキアシスト 安水 正 |
開設者 |
安水 正(やすみずただし) |
生年月日 |
昭和34年10月4日 |
経 歴 |
1983年 3月 大阪工業大学 建築学科卒業
4月 鰍めりか屋入社
1991年 12月 一級建築士免許取得
2002年 6月 鰍めりか屋退職
10月 「住まいづくりのABC」HPを開設
2003年 2月 安水建築事務所設立
2006年 6月 株式会社アーキアシスト設立
8月 神戸市東灘区に事務所を移転
2010年 5月 神戸市中央区元町通に事務所を移転
2013年 4月 神戸市中央区浜辺通に事務所を移転 |
実務経歴 |
あめりか屋は、主に住宅建築を行う会社で、入社以来18年間、200件以上もの注文住宅、事務所ビル、マンションなどの新築・増築・改築にかかわりました。見積から現場監督までまんべんなくこなしました。2003年2月設計事務所を設立後も住宅の設計・監理にかかわりました。
2006年潟Aーキアシスト(あんしん住宅相談室)設立後、数多くのマンション、一戸建て内覧会同行、建物調査、耐震改修工事、コンサルティング業務を行う。 |
好きな事 |
食べ物 何でも好きですが、特に中華、寿司
飲み物 ビール
書籍 「人間は、自分が考えているような人間になる」
音楽 ポピュラー、ジャズ、カントリー、フォーク
場所 静かで落ち着く所。自分の部屋。
時間 静かに自分に向き合える時
ワクワクする時 新しい人・仕事に出会って、住む人をイメージしてプランを考えている時
スポーツ テニス、野球
趣味 スポーツ・英会話・タウンウォッチング
ラーメンの食べ歩き・友人と飲む事 |
参考)あめりか屋という会社 |
明治42年 あめりか屋は、橋口信助により、創設されました。橋口信助は、和洋折衷をいち早く取込み日本の住宅改良に大きく影響を与えました。その後、設計技術長である山本拙郎により、住宅において、あめりか屋の地位は確固たるものになり、日本の近代住宅の先駆けとなりました。戦争で一時閉鎖されたものの、戦後、復興し三代目社長、前野慶太郎により阪神近辺を中心に次々と邸宅を完成させ、住宅建築を常にリードしてゆきました。あめりか屋の歴史は、日本の住宅建築の歴史でもあったのです。
その近代住宅の歴史(あめりか屋の歴史)が文化女子大学 内田青蔵氏により、まとめられました。日本の近代住宅の歴史に興味のある方は、必見です。 |
あめりか屋と住宅改良 |
|